最新情報 | 2024.08.19蝉の忘れ物 |
---|
坐漁荘(ざぎょそう)は、明治の元老であった公爵・西園寺公望が1920年(大正9年)に 静岡県庵原郡興津町(現在の静岡市清水区)に建てた別邸です。 公望本人は政治の中枢から離れ、興津の地に別邸を建て、『のんびりと魚釣りでもして過ごすつもり』という意味を込めて『坐漁荘』と命名。東京府東京市神田区駿河台の私邸から移り住みました。
しかし『のんびりと過ごしたい』と隠棲生活を望んだ本人の意思と裏腹に、大正から昭和にかけて激動する日本の政治の数々の局面でクローズアップされた舞台となりました。当時の日本政界の中枢人物による「興津の坐漁荘詣で」が頻繁に行われたといわれています。
1940年(昭和15年)に公望が亡くなった後は、西園寺家より高松宮宣仁親王に譲渡されました。戦後、宣仁親王の義弟にあたる徳川慶光が一時的に居住しましたが、その後は再び西園寺家に戻ります。
建屋の老朽化が著しくなった1968年(昭和43年)に、博物館明治村(愛知県犬山市)への移築話が纏まり、1970年(昭和45年)に明治村での移設公開が始まりその後、2003年(平成15年)には登録有形文化財に登録されました。
現在、興津に存在するものは2004年(平成16年)に復元されたもので、興津坐漁荘の名称で一般に公開されています。
施設名称 | 興津坐漁荘(おきつざぎょそう) |
---|---|
所在地 | 〒424-0206 静岡市清水区興津清見寺町115 |
電話番号 | 054-369-2221 |
開館時間 | 平日 10:00~17:00 土・日・祝日 9:30~17:30 |
定休日 | 月曜、年末年始(月曜祝日の場合は翌平日 ) |
利用料 | 無料 |
駐車場 | 有り(普通車5台) |
アクセス | JR東海道本線「興津」駅より徒歩20分 東名高速道路「清水IC」より車で約6分 |
管理団体 | 特定非営利活動法人AYUドリーム |
近代日本の政治の節目には天皇からのご下問があり、そのアドバイスをしたのが元老の役目でした。最後の元老であった「西園寺公望」は興津の地が大変気に入り、晩年の21年間坐漁荘に住みました。2004年に復元された興津坐漁荘で顕彰活動を行っています。
「興津中学とのコラボ」
西園寺公望公が晩年に興津で生活や交流の様子を、全9幕の壮大な動読劇にて公演しています。SRAC俳優の奥野晃士仁さんの演出と主演、そして地元興津中学校の生徒や先生方の出演で大いに盛り上がりました。
「興津坐漁荘創建百年(2019年)」を記念したイベントを9日間開催いたしました。オープニングは動読劇に始まり、縁のある方々から秘蔵品を集めた展示、西園寺公似顔絵コンクール、エンディングはリレートーク「とっておき秘話」で締めくくりました。期間中は300名を超す来場者で賑わいました。
年に一度だけ、名勝「興津清見寺」と「坐漁荘」が宵闇にライトアップされて明々とと浮かび上がります。そこをつなぐ街道には竹灯籠は置かれて、風情ある時間が流れます。同時に、清見寺と坐漁荘で夜を愉しむイベントも催されますのでお楽しみにしてください。
坐漁荘の見学を、より楽しくより深く見学していただけるように「興津坐漁荘・西園寺公望検定」を用意しています。ご来場いただけた方全員に配布しています。初級が12問、中級が12問に解答していただくと、オリジナルスタンプを押しますので、是非挑戦してください。
現在、興津にある坐漁荘は忠実に再現された復元建築物ですが、本物の坐漁荘は愛知県犬山市にある「明治村」に移築されています。本物を細部に至るまでの見学したりふれたりすることで、改めて興津坐漁荘の魅力を再発見する機会となりました。
興津坐漁荘の庭は、一年を通して愉しむことができます。西園寺公が四季の彩りを愛でられるようにと願い、その思いが庭に反映されているからです。それぞれの季節にお運びいただくと、きっと魅力を再認識していただけることでしょう。