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興津地区は、清見寺・水口屋・横山城址など数多くの観光名所に加え、坐漁荘の復興など観光スポットとして大変可能性を秘めている地区でもあります。更に興津鯛、あんこの発祥の地でもあるなど多くの特産物に恵まれています。
自然・歴史・おいしいグルメ、様々な視点から「興津地区」をご紹介します。

興津の歴史と概要  観光スポット紹介  興津の特産品

薄寒桜
果実研究所内にある薄寒桜は、明治45年にワシントンのポトマック河畔に寄贈された三千本の桜と兄弟にあたる薄寒桜である。また、この際にお礼として送られた花水木も研究所内で健在である。
興津区域では、薄寒桜を町の花として毎年植樹を進めており、初期に植えたものは既に花を咲かせるまでに至り、2月の薄寒桜まつりには、毎年多くの人が訪れる。
さった峠
さった峠は、東海道興津宿と由比宿の間に横たわる3キロ余りの峠道で、古来、箱根・宇津ノ谷・日坂などと共に街道の難所として知られてきた。
江戸幕府の東海道伝馬制度が定められたのは、関が原の戦いから間もない慶長六年(1601年)の事で、その後「一里塚」なども整備されたが、この峠道の開通はずっと遅れて、明暦元年(1655年)と記されている。
さった峠には、上道、中道、下道があり、下道は峠の突端の海岸沿いの道であり、中道は、明暦元年に開かれた山腹を経て外洞へ至る道、上道は峠を下るところから内洞へ抜ける道で、この道が江戸後期の東海道本道である。峠の駐車場北側から着つ方向へ向かう道は、地蔵道と呼ばれていた。
更にさかのぼって万葉の昔には、田子の浦と呼ばれ、富士山を望む景勝地として名高く、多くの歌が残されている。
現在はハイキングコースとして親しまれており、四阿(あずまや)からの富士山、駿河湾、伊豆半島が一望できる様子は、まさに絶景といえる。

ゆっくりウォーク
由比町と興津地区の住民、両市町の行政とで構成する「東海道さった峠振興協議会」出主催し、毎年10月と2月にさった峠を中心に行うウォーキングイベント。約9キロと比較的短く初心者のかたも参加できる。10月には由比宿まつり、2月には寒桜まつりと併せて開催しますので、見どころ満載。

不動の滝
興津本町にある滝。規模は小さいものの、滝の上部には坂上田村麻呂の伝説があり波切不動尊があり展望もよく、森林浴などにはお薦め。




清見寺
その昔、東北の蝦夷に備えて、興津に関所が設けられ清見関(きよみがせき)と呼ばれた。その傍らに仏堂が建てられたのが清見寺の始めと伝えられている。
弘長元年、関聖上人が清見寺を再興し、当初は清見関寺(きようみがせきじ)と呼ばれ、足利尊氏が深く清見寺を崇敬し、足利義満は日本十刹の第七位とした。
その後、今川氏のカゴを受け、永禄十一年の武田氏駿河乱入、また天正十年徳川家康甲州攻め入りの時など、いずれも清見寺が拠点とされた。さらには豊臣秀吉も天正十八年北条氏攻伐の際、清見寺に一時本営を置いて全軍の指揮を取ったと言う。
江戸時代には徳川一門の帰依を受け、明治に入っても退廃を免れていたためか、明治二年と十一年には明治天皇の鳳輦を迎え、大正天皇東宮時代には幾度も滞泊された事があり、御座所(書院)が今も残っている。
また、朝鮮通信使の扁額、五百羅漢、琉球王子の墓、樗牛の賞賛した名鐘、家康が接木したという臥龍の梅、咸臨丸記念碑など、多くの指定文化を有し、境内は朝鮮通信使遺跡ついて国の指定をうけている。

龍津寺
臨済宗妙心寺派の古刹で、江戸時代には小島藩主滝脇松平家の香華寺として藩主の厚い庇護をうけた。小島藩3台藩主昌信公の墓所があるほか、県指定天然記念物に指定されているトウツバキなどがある。


霊泉時
甲斐武田氏の武将の一人、江尻城主の穴山梅雪が永禄12年に創建した寺。興津川左岸の丘に立ち、本道の裏手に梅雪の墓がある。また、県指定文化財「穴山梅雪画像」(絹本著色・縦89cm・横41cm)を所蔵している。


坐漁荘
最後の元老西園寺公望公が、晩年過ごされた別荘である。 坐漁荘の名の云われは渡辺千冬子爵の命名であり、中国の呂尚(太公望)の故事に因んでいる。
大正八年に完成して以来、昭和十五年、西園寺公が92歳でなくなるまでの22年間の住居であった。その間、唯一人の元老として天応の諮問に奉答し、歴代の総理の多くが推挙された。また、当時国の重臣が坐漁荘を訪れ政治について西園寺公に相談した事から「興津詣で」とまで言われた。
当時の坐漁荘の居間からは、遠くかすむ伊豆天城の連峰、目前には三保松原が見渡せ、更に砂浜に引き揚げられた漁船や千し網の近景が庭越しに広がっていた。
さった峠
さった峠は、東海道興津宿と由比宿の間に横たわる3キロ余りの峠道で、古来、箱根・宇津ノ谷・日坂などと共に街道の難所として知られてきた。
江戸幕府の東海道伝馬制度が定められたのは、関が原の戦いから間もない慶長六年(1601年)の事で、その後「一里塚」なども整備されたが、この峠道の開通はずっと遅れて、明暦元年(1655年)と記されている。
さった峠には、上道、中道、下道があり、下道は峠の突端の海岸沿いの道であり、中道は、明暦元年に開かれた山腹を経て外洞へ至る道、上道は峠を下るところから内洞へ抜ける道で、この道が江戸後期の東海道本道である。峠の駐車場北側から着つ方向へ向かう道は、地蔵道と呼ばれていた。
更にさかのぼって万葉の昔には、田子の浦と呼ばれ、富士山を望む景勝地として名高く、多くの歌が残されている。
現在はハイキングコースとして親しまれており、四阿(あずまや)からの富士山、駿河湾、伊豆半島が一望できる様子は、まさに絶景といえる。
身延指標




水口屋ギャラリー
(フェルケール博物館別館)


江戸時代には興津宿の脇本陣であった。明治以降も、西園寺公望、伊藤博文などの日本の政治、経済の表舞台で活躍した人たちが多く宿泊し、約400年にわたり歴史の舞台となっていた。現在、鈴与グループの研修センターとして使用しているが、一部をギャラリーとして無料開放している。ギャラリーでは、天皇陛下が宿泊された際に使用された食器類や、水口屋に宿泊された重臣の年代ごとの記録などが展示されている。
小さな博物館
商店などの店舗の一角に、昔の商売道具、古文書、写真や生活用具などを展示している小さな資料館。みなとまるごと博物館shimizuの会が企画し、店主が館長として展示品を紹介し、まちの魅力と活性化を知る事が出来る。

【HP】 http://www3.tokai.or.jp/minato-marugoto/sub6.htm
横山城址
鎌倉から戦国時代にかけ興津を支配した豪族、戦国大名今川氏重臣であった興津氏が室町時代初期以降、代々の居城した城の跡。興津氏滅亡のあと、武田の武将穴山梅幸の居城となった。遺構としては、曲輪、土塁と空濠の跡しかないが、落城の悲劇を物語るように、居間も山裾の館跡から炭化した米の塊が出土する事があり、兵糧蔵の跡からのものと推測される。館跡には、宗長が歌に詠んだ立派な庭園が発掘されている。周辺には首塚跡、さくら峠、馬頭観音などもある。
不動の滝
興津本町にある滝。規模は小さいものの、滝の上部には坂上田村麻呂の伝説があり波切不動尊があり展望もよく、森林浴などにはお薦め。



本陣跡
東に興津川とさった峠を控えた興津は、東海道十七番目の宿場町として栄えた。興津本宿(町)には、統制に二軒の本陣があり、脇本陣も二軒存在し、水口屋もその一つであった。現在では、東西とも本陣の建物はなく、名残りとして標柱が残されている。


宗像神社例祭(輪くぐりさん)
宗像神社は、会場公開の守護神である筑紫の宗像神を勧請したもので、平安中期の創建と推定される。祭神はスサノウのミコトの御子沖津島姫ら三女神だが江戸時代に弁天信仰と同化され、境域を女体の森、境内の池を弁天池と称している。
宝暦9年(1759年)興津能登守藤原忠通と銘ある石鳥居がある。これは室町時代、当地横山の城主であった興津氏の子孫が徳川の旗本として続いており、大阪町奉行となって赴任の途中、妻女の出産に助けられ、のとにこの神社に詣でて寄進したものである。
毎年7月31日には例祭が行われ、盟神探湯(くがたち)及び茅の輪くぐりの古式が催される。




薄寒桜
果実研究所内にある薄寒桜は、明治45年にワシントンのポトマック河畔に寄贈された三千本の桜と兄弟にあたる薄寒桜である。また、この際にお礼として送られた花水木も研究所内で健在である。
興津区域では、薄寒桜を町の花として毎年植樹を進めており、初期に植えたものは既に花を咲かせるまでに至り、2月の薄寒桜まつりには、毎年多くの人が訪れる。
さった峠
さった峠は、東海道興津宿と由比宿の間に横たわる3キロ余りの峠道で、古来、箱根・宇津ノ谷・日坂などと共に街道の難所として知られてきた。
江戸幕府の東海道伝馬制度が定められたのは、関が原の戦いから間もない慶長六年(1601年)の事で、その後「一里塚」なども整備されたが、この峠道の開通はずっと遅れて、明暦元年(1655年)と記されている。
さった峠には、上道、中道、下道があり、下道は峠の突端の海岸沿いの道であり、中道は、明暦元年に開かれた山腹を経て外洞へ至る道、上道は峠を下るところから内洞へ抜ける道で、この道が江戸後期の東海道本道である。峠の駐車場北側から着つ方向へ向かう道は、地蔵道と呼ばれていた。
更にさかのぼって万葉の昔には、田子の浦と呼ばれ、富士山を望む景勝地として名高く、多くの歌が残されている。
現在はハイキングコースとして親しまれており、四阿(あずまや)からの富士山、駿河湾、伊豆半島が一望できる様子は、まさに絶景といえる。

ゆっくりウォーク
由比町と興津地区の住民、両市町の行政とで構成する「東海道さった峠振興協議会」出主催し、毎年10月と2月にさった峠を中心に行うウォーキングイベント。約9キロと比較的短く初心者のかたも参加できる。10月には由比宿まつり、2月には寒桜まつりと併せて開催しますので、見どころ満載。
不動の滝
興津本町にある滝。規模は小さいものの、滝の上部には坂上田村麻呂の伝説があり波切不動尊があり展望もよく、森林浴などにはお薦め。




甘味が強く、香り、食味もよい。
皮も、むきやすく食べやすいため様々な方に好まれています。
生クリームがたっぷり入ったドラ焼き。子供からお年寄りまで喜ばれる品。売り切れになってしまいますので、お早めに! 味は、 「生クリーム」と「生クリーム&あんこ」の二種類があります。






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